【Republic of Iraq episode8】チーフの家に居候 からの Kufa;クーファへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

バビロンの遺跡だけ寄ってすぐに去るつもりだったHillah の街ですが、泊めてくれたレストランのチーフの厚意に甘えてだらだらと滞在する流れになってしまいました。

チーフの家に居候

レストラン2階の一画を占拠しPC作業をする。お言葉に甘えるにも程があんだろ。

しかも定期的にチャイを出してくれるという至れり尽くせりに、すっかり快適になってしまっていた。

更に、レストランにいる間は、毎食食事もお世話になってしまった。全部無償だった。
申し訳ないを通りこして、まぁもうもらえるもんはもらっちゃおうと開き直る(?)

一度、作ってくれたラーメン。味はともかく、気を使ってラーメンをつくってくれるのがなんとも嬉しいじゃありませんか。

とはいえ、ずっとレストランに居座るわけにもいかないので、バイクをチーフの友達の家に停めさせてもらうことになった。

チーフの友達はタトゥーショップを経営していて、店内はなかなかおどろおどろしかった。

沢山の作画例の中に、ナルトとピカチュウ発見。日本のIPの強さよ。

チーフこと Hood 氏の愛車 と並んで。

チーフの家の一室を借りて、結局レストラン泊と併せて5泊もお世話になってしまった。

てか、チーフそのうち2日くらいは家に帰ってこないっていう。
初見の日本人を家に置いてそのまま帰ってこないとは、凄まじい適当っぷりだ。
しかもチーフの家は鍵がかからない。
周りにはまじで何もないし、バイクもチーフがいないと回収できないから、軽く軟禁状態だった。
これが現代版バビロン捕囚か、なんてうそぶきつつ、適当に散歩したりブログ作成を進めていた。

チーフは趣味で絵を描くというので、何枚かみせてもらった。

人物デッサンがメイン。

彼の人柄が、黒炭を通して紙面に投影されている。
Hoodとは、彼の先祖の話とか、日ユ同祖論の話をGoogle 翻訳つかって夜遅くまで話したなぁ、楽しかった。
最近奈良の円墳から見つかった鏡と剣もHoodに見せてあげた。
アーロンの杖じゃん! by Hood.

そいでもって、彼がデザインして販売したというTシャツまでもらってしまった。

その名も “AKKAD”
左胸にサルゴン1世、そして背中はハンムラビ王という超絶イかしたデザインだ。日本でも売れると思うよ、と伝えておいた。

街の隅 屋台販売の Lebilebi; レビレビ という豆スープ。

チーフの家、周辺にあるグロッサリー前にて。

と、そんな感じで世話になったレストランの皆と。この後ちゃんと撮り直したけど、この写真 みんなが勝手な感じで好き。

計5食だろうか、料理をつくってくれたシェフ。

大変世話になりました! きっとまたどこかで会う気がする。

ここまでのルート

Kufa へ

Hillah の街を去るとき。
青いタンクがかっこいいね👍

今日も埃っぽさマックス。

ユーフラテスの支流を渡る。

道が粉塵で霞んでる分、横にあらわれる田園が余計に緑緑しく感じる。

エアフィルター、大丈夫かな。結局出発してまだ一回も開けてねぇ・・・・
イスファハンの工場でリオイルの確保ができるか連絡しているが・・・

少し農作地に入ってみた。

目と呼吸器に優しい。

Najaf の街手前のチェックポイントがまた時間かかった・・・

Kufa の街に到着。ここでもまたシーア派の聖地といえるモスクを訪ねるんだが、バイクでの侵入ができなかったので やや遠くに停めて歩いていく。

モスクが近づくと、カルバラの時と同じようにだんだん賑やかになってきた。

ん~~真っ赤なイチゴうまそう。

ボディチェックを受けてモスク周囲の道路に入っていく。

パン屋にスイーツ屋、なんだかよくわからない店がお祭り状態で軒を連ねる。

軽くテーマパークに来たような気分にさえなる。

これは何の巨釜なんだろう・・・

 

チャイ屋の棚に並べられた小瓶ははちみつだろうか?チャイに入れる用かな。いまのところ砂糖のかわりにはちみつを入れてるの見たことないけど。

この横丁感がいいね。

シーア派のモスクの参道(?)には、こんな感じの商店街が発達するということがわかった。

Holy Shrine of Imam Ali

ここもカルバラと同様、モスク本体の外周を取り囲むように外壁がある。今までサウジやオマーンで見てきたモスクよりも構造が複雑なようで、外壁の中にはどこから入ればいいのかもよくわからない。

なんかすげー混んでるし、中には入らなくていっか と思いかけたけど、なんとか入口やら靴とカメラを預ける場所やらをみつけて内部へ。

※なので肝心のモスクの写真はまたスマホ撮影。

中へ入ると、黄金のドームが燦々と輝くモスクがあらわれた。これが Holy Shrine of Imam Ali だ。

アリーは第4代正統カリフであると共にカルバラの記事で触れたフセインの父であり、シーア派の人々にとっては初代イマームにあたる。このモスクはムアーウィアとの和平に不満を抱いた元支持者から暗殺されてしまったアリーを埋葬する霊廟を兼ねている。

Rajab月の13日 がアリーの誕生日とされていて、たまたまその日が近かったことでモスクのファサードには大きな垂れ幕と、沢山の花が飾られていた。
ヒジュラ歴1444年のRajab月13日は、今年の2月4日にあたる。まさにピンポイントであった。
日本語のWikipedia では、アリーの誕生日を9月13日としているけど、これは完全な誤りなんじゃないだろうか?サウジの友人に聞いたところ、西暦599年のRajab月13日は3月17日に相当する(ヒジュラ以前の出来事ではあるけど)。

時計塔を兼ねるミナレットとその下にゲートがある。

Zarih のある部屋へ。内部のキラッキラ度合いはカルバラのモスクで見たのと同じかそれ以上だ。これがシーア派モスクの特徴らしい。
Zarih 周囲は巡礼者でごった返しで、近づくのも難しかった。奥に見えているのがAli の棺だ。

というわけで、カルバラに引き続き、シーア派の聖地 Kufa のHoly Shrine の風景でした。

つづく

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