【Kingdom of Saudi Arabia episode 11】イスラム最深の聖地 Makkah メッカ と Kaaba カーバ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

アラビア半島を東から西へ進み、多くの助けと人々の温かさに支えられ概ね紅海側へと抜けてきました。
500kmを越える何もない砂漠の直線道路から、標高2,000mを越えるヒジャーズの山岳道路を経て、ついにイスラム世界最大の聖地 メッカへやってきました。

Makkah 中心地

タイフからメッカへつづく道は、いくつかある中、ジグザグの曲がりくねった道を進んでいく。

メッカに近づくにつれ標高は下がり、気温もだんだんと上がっていく。

Route:115km.

メッカ中心部に到着。この巨大な建造物群はAbraj Al Bait Towersというホテルで、7つの塔から構成される内 最も高いのが緑にライトアップされた特徴的な時計塔である Makkah Royal Clock Tower Hotel. その高さは601mで、世界一(高さが)高いホテルであり、世界で4番目に高い建造物となっている。

現在も新たな建設が進んでいる様子のメッカ中心部。
メッカ巡礼やムスリム観光客が急激に増える中、それを受け入れるため、また裕福な巡礼者のニーズに応えるため、宿泊用の高層ビル群の建設が急速に進められてきたという。
以前は1,000年前後の歴史を持つ古い建築物が沢山あったのが、その9割以上はこういった商業施設の建設のために取り壊されたのだ。

その中には開祖ムハンマドの最初の妻の生家やムハンマド自身の生家なども含まれていたというからちょっと驚きではある。
国内外から反対の意見も多くあったようだけど、歴史的建造物への偶像崇拝を取り払う という大義名分の元 政府は開発を敢行したようだ。

カーバ神殿を取り囲むハラムは、近くからでは全貌が捉えられないほど巨大なので、全貌を眺められる小高い丘の上にやってきた。

一際に目立つ時計塔の傍らに、城壁のように一画を成すのが、Masjid Haram (=カーバを守護する聖なるモスク)だ。

全世界に400万以上あるとされるモスクの中で、最も神聖かつ格式の高いモスクといえるでしょう。

Kaaba

ハラムの内部に入り、ついにイスラム最深の聖殿、カーバを目の当たりにする。

まさかこの目でカーバ神殿を直に見ることがあるとは思わなかった。
周囲は巡礼のムスリムたちでほぼ一寸の隙間もなく埋め尽くされている。
巡礼のひとつであるUmrah ; ウムラにおいて、巡礼者は神殿の周りを半時計周りに7周する決まりになっていて、これをTawaf;タワーフという。

日本であれば、ほとんど教科書くらいでしか見ることはないであろうこのキューブは、イスラムにおける神の家で、科学的な検証はおそらく一切されてないためその起源は不明という。
何度も損壊や消失を繰り返しているため現在の形になったのがいつ頃なのかは詳しく調べないと定かではないけどたぶんオスマン帝国時代、そして1995年にサウジアラビアによる大規模な改修作業が行われている。

常にキスワという布で覆われているため、一体内部がどうなっているのか多くの人にとって謎だけど、今回メッカ研究者のお宅に訪問し、キスワの下の姿が映された写真を見ることができた。ぱっと見は黒いレンガ造りのように見える。内部には3本の柱が建てられていて、現在では強化セメント製となった屋根を支えている。

イスラム以前のアニミズム時代、既にカーバは聖地として機能していたという。
ムハンマドによるメッカの占領後、内部の偶像は全て破壊され、それ以後イスラームの聖殿と定められた。
イスラムの世界では、最初の人間であるアダムがつくりあげ、その後洪水によって消失してしまったため、後世に全アラブ人の祖であるイシュマエルとその父、イブラーヒーム(アブラハム)が共に再建したとされている。

カーバの傍らに厳かな籠のようなもので囲われたこれが、Maqam Ibrahim ; マカーム・イブラーヒーム といい、イブラーヒームがカーバ再建の際に積み上げた石と、その時にできたイブラーヒームの足跡が残されている。
今回、四隅の一部に埋め込まれている黒石の写真を撮ることはできなかった。

Sai と ZamZam

巡礼者に決められたもう一つの行いに Sai; サイ―がある。
ハラム内にある2つの山(実際には岩肌が露出しているだけ)Safa;サファ と Marwa; マルワ の間を7回行き来するのだ。
上の写真がサファで、

サファ→マルワへの道。
男性が着ているのはイフラームの布といい、巡礼の際は縫い目のない白い布2枚で体を包むことになっている。

そしてこの岩肌がマルワで、

マルワ→サファへの道。

これは、のどの渇きに苦しむ息子イシュマエルに飲み水をと探すハジャル(=イブラーヒームの妻)が、このサファとマルワの間を水を求めて彷徨った故事を追体験する意味がある。
結局、神よりハジャルとイシュマエルの元に遣わされた天使が地面に触れ、そこから湧き水が溢れイシュマエルはのどの渇きを潤すことができたという。

この湧き水をZamZam; ザムザム といい、古来よりメッカの貴重な水源でもあった。
現在では高度に管理され、水路によってハラム中で飲むことができる。飲み場はやはり巡礼者でごった返し状態だ。
イシュマエルの時代から涸れる事のないこの湧き水には神聖な力があるとされていて、実際にガンが治ったという事例もあるという。

小巡礼ウムラにおいては、このタワーフとサイ―、そしてザムザムを飲んで最後に散髪をすることで巡礼が完了する。

絶える事のない巡礼者の波によって、ハラム周囲はとても賑やかなのであった。

メッカのランドマークとなる山とハッジの施設

メッカは周囲を山に囲まれている。そんな山山の中には、イスラムの世界において重要なランドマークとなる山がいくつかある。

これは Jebel Thawr.
メッカにおいて迫害を受けたムハンマドが、クライシュ族から逃れメディナへ移動する時に身を潜めたといわれる洞窟がある山だ。

そしてこれが Jebel Nour.
同じくムハンマドがよく瞑想をしていたことで有名なCave of Hira; ヒラー洞窟がある山である。つまり、ムハンマドが天使ジブリールより神の啓示を受けた場所でもあり、やはりムスリム達に神聖視されている。

多くの巡礼者が山を訪れていたが、

山のふもとには、「ムスリムたちよ!ムハンマドはこの山に登ったり祈ったりなどとは言っていない。彼の言葉に反するな」との掲示がされていた。
つまり山は本来神聖視されるべきではないからな、という留意書きだ。

そしてここが Jebel Arafat.
大巡礼 Hajj; ハッジにおいて巡礼者は特定の期間に定められた場所で時間を過ごす。
ハッジの2日目、巡礼者はMina; ミナ という場所からここアラファト山へ移動する。

アラファトとミナの間にはこのようなモンゴルのゲルを連想するような簡易宿泊施設がぎっしりと並んでいる。
特定の期間にミナやミナとアラファトの間にあるMusdaifa; ムズダリファで野営をする巡礼者のために用意されたものだ。

この立体駐車場のような建造物はJamarat; ジャマラート橋 とよばれるもので、現在ではこのような重層構造の建造物になっているけれど、内部にはハッジにおいて巡礼者が石を投げつける柱が3本ある。
これは柱を悪魔に見立て、悪魔への投石という意味合いでハッジの間複数回にわたって行われる。

これは同じくハッジの儀式において犠牲となる(屠られる)動物を収容している施設。

というわけで、無宗教の日本人にはおよそ理解が難しい巡礼にまつわる様々なランドマークに関するレポートでした。

おまけ

メッカでみつけたウズベキスタン料理屋さんにて、久しぶりにアジア料理っぽいものを食べることができた。
器にも注目。

つづく

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