【Republic of Italy episode10】底なしの魅力に溢れた Napoli; ナポリの街

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

昨日はポンペイの遺跡の散策を終えたので、この日はNapoli; ナポリの街に向かおうと思います。

ぶらり ナポリのデイトリップ

Adele の家の直近にある駅から、列車でナポリへ向かう。

路線はこんな感じで、シンプルで分かりやすい。

センターに一番近そうな Municipio 駅でおりる。
メタリックでかっこいい駅だ。

駅を出たら早速テネレ発見。

薄型液晶になった新モデル。スイングアームに取り付けるロックは便利そうだけど、忘れたまま発進しちゃいそう。

海側を見ると、ナポリ港がみえる。

Castel Nuovo; ヌォーヴォ城
アマルフィ海岸の Torre Normana と同じく、ホーエンシュタウフェン家のManfredi; マンフレーディーを排して王となったアンジュー朝(カペー朝由来)の Charles d’Anjou(Carlo Ⅰ); シャルル・ダンジュー(カルロ1世) が建設を命じて、1279年に着工 1282年に完成した。

マンフレーディーの治世ではパレルモが首都だったのを、カルロ1世がナポリに遷都したことで、王宮兼要塞として築かれたけど、完成した1282年に反フランス的な暴動「シチリアの晩祷」が勃発。シチリア側で擁されたのは 先にアンジュー朝によって追放されたマンフレーディーの娘婿 Pedro Ⅲ; ペドロ3世で 、シチリアを奪還しようとするカルロ1世との間で戦争は長引き、結局カルロ1世は戦争に奔走する中1285年に病死。せっかく完成したヌオーヴォ城に住むことはなかったという。

1302年に講和がむすばれて、以後シチリアはアラゴン家が イタリア本土側はアンジュー家が統治することとなり、 元々ひとつだったシチリア王国が、シチリア王国とナポリ王国に分裂することとなった。

ヌオーヴォ城から西側に少しあるいていくと見えてくるこの立派な建物は、Galleria Umberto I という何とも美しいショッピングギャラリーだ。

イタリアが統一されて間もない 1887-1890年に 2代目国王 Umberto Ⅰ; ウンベルト1世の治世で建設された。

16本の金属リブで支えられたガラス張のメインドームを中心として、ラテン十字型に3階層の回廊がのびる。

統一戦争後の間もない混乱期に、どうしてここまで妥協しない建物がつくれたんだろう、、、と思うのが普通だけど、実際当時政府には十分な資金がなかったから Società pel Risanamento di Napoli というナポリ再開発のための株式会社が設立されて 国内外から投資を募ったんだそうな。

コレラの蔓延したナポリ都市部を完全に一新したリザナメントとその代名詞でもあるこのギャラリーは
「これ以上放置したら社会不安で国が立ちいかなくなる」という実質的な不安と、「近代国家としての威信と政治的野心」の結晶といえるのかもしれない。

Piazza del Plebiscito; プレビシート広場を囲む Palazzo Reale di Napoli; ナポリ王宮と、

Basilica Reale San Francesco di Paola; サン・フランチェスコ・ディ・パオラ大聖堂。イタリア軍が常駐してる。

さて、ナポリ観光で一番楽しみにしていたのが、ナポリ地下都市の見学ツアーだ。
なんと Emiliano がチケットを買ってくれたので、スマホにチケットをダウンロードして入口へと向かう。
ありがとう、Emiliano!

見学は10人くらいのグループで、ガイドさんがついて説明しながら見て回れる。
路地に潜んだ地下への入口から 地下世界へと階段を下りていく。

ナポリ全域にわたって、ヴェスヴィオ火山の火山活動と地下の地熱作用によって Yellow Tough と呼ばれる非常に強固な凝灰岩で覆われた層がある。加工性に優れて強度の高いこの凝灰岩は建材として最適で、なんと紀元前4世紀頃の古代ギリシアの時代から採掘がはじまったらしい。

古代ローマ人は、ギリシア人のつくったこの坑道を 貯水槽や地下水利システムとして更に拡張。中世以降も採掘はつづいて、ナポリの地下の45%は空洞だ、なんていわれている。トルコで訪れた Derinkuyu Underground City を思い出した管理人は、どちらが「地下都市」として規模が大きいのか比べてみたくなった。
大戦下では、この巨大な地下空間が空爆から市民を守る防空壕として活躍したと思うと、先人の遺構が現代の市民を守るというちょっと胸アツな歴史だ。

2次大戦時、北アフリカ戦線への重要な補給基地だったナポリは イタリアで最も苛烈な爆撃を受けることになる。
この時、約4万人の市民がこの地下都市で生活をおくり、爆撃が激化した一時期 避難者の総数は最大20万人にも達したとも言われている。

当然、衛生環境は悪化して 常に悪臭と湿気が立ち込めていた防空壕。
特に、コロモジラミの繁殖による発疹チフスの流行は致命的で、爆発的に感染が広がった。
連合国軍がナポリを占領した1943年から44年にかけて、大規模なDDTの散布がはじめて行われて流行は収束した。これが、人類が歴史上はじめてチフスの流行を人為的に止めた瞬間といわれている。おなじように日本でも、戦後GHQ主導でDDTの散布が行われた。

巨大な貯水槽や、

トイレ。深さ40m、総面積200ヘクタール(=昨日見たポンペイの遺跡の3倍以上)にも及ぶ巨大な地下空間には、2500年の歴史が積み重なっている。

 

地下都市の見学ツアーで、個人的なハイライトだったのは 50~70年代、違法行為の関連品として押収された車やバイクが展示されているエリアだ。

もはやメーカーなども分からないものが多いけど、

中にはきっとヴィンテージのDucatiやAlfa Romeo の車両も混じってる。

さらに下へとおりていくと、

古い水道システムが禁止された19世紀後半まで、各家庭に水を供給していた地下井戸の縦長な巨大空間が現れた。

この空間を利用して、各家庭に水の運搬を担っていたのは Pozzari; ポッツァーリという人々で、彼らは複雑な地下構造を熟知して 地下水の維持管理をしていた職人集団なのだ。写真のように、狭い地下通路を器用に上り下りしていたらしい。命がけの仕事だ・・・
前の記事で紹介したナポリの伝承精霊 Munaciello; モナチェッロの正体は このポッツァーリだという説もある。
ポッツァーリは 井戸を通じて市内のどの家にも入ることができたから、しばしば家の貴重品をくすねたり あるいは主人が不在の家で主婦と密通したりすることもあったらしい。常に修道士のようなローブや フード付きの服を着ていたこともあって、「いたずら好きの小さな修道士 モナチェッロ」という伝承へとむすびついていったのかもしれない。

見学ツアーの出口には、なぜかアンティークショップが。

地下都市の見学ツアーを見終わったところで Adeleと合流。
来た時は曇っていた空も、少し晴れてきた。

海沿いの Villa Comunale; ヴィッラ・コムナーレ公園

公園内の Cassa Armonica

ナポリの湾に突き出た岬に建つ Castel dell’Ovo; 通称卵城
12世紀以前はビザンツ帝国的な伝統を重んじていたナポリ公国、長年周辺のランゴバルド人勢力と戦いながら独立を保っていたけど、1137年に オートヴィル家(ノルマン人)のRoger Ⅱ(Roger The Great); ルッジェーロ2世に降伏して ついにシチリア王国として統一される。
そんなシチリア王国初代国王のルッジェーロ2世が王宮兼要塞として建てたのがこの卵城だ。
卵城という名前は、中世ナポリで「偉大な魔術師」として信じられていた古代ローマの詩人 Publius Vergilius Maro; ヴェルギリウスが、「城の下には魔法の卵があり、その卵が割れた時 ナポリに大きな災いが降りりかかるだろう」と言った伝説に由来する。

城へと渡る橋で お土産を売るアフリカ系移民。

卵城の脇に広がる Santa Lucia; サンタ・ルチア港。

Adele が連れてきてくれた市内のカフェ。

イタリアといえばエスプレッソ発祥の地、そして特にナポリのエスプレッソは Napoli Roast という極深煎りの豆を使うことによる 濃厚でパンチの効いた力強い味わいが有名だ。ちなみに、イタリアでは午前10~11時を過ぎてからミルク入りのカプチーノを注文すると本当にバカにされるらしいから観光客は要留意笑

ナポリ式のエスプレッソには砂糖をたっぷり入れてOKで、一緒に売られている甘味と一緒に楽しむのもGood!
写真は、ナポリ名物焼き菓子の Sfogliatella Frolla というお菓子で、イメージ的にはシュークリームに近い。周りがサクサクな生地でできた Sfogliatella Riccia というバージョンもある。

次ぎにやってきたのは San Carlo Theatre; サン・カルロ劇場
1737年 ブルボン朝のCarlos Ⅲ; カルロス3世(ナポリ王としては Calro Ⅶ; カルロ7世)によって建てられたヨーロッパ最古のオペラ劇場だ。
通常は観光だけで中に入ることはできないんだけど、Adele の友人が中で働いてるみたいで 特別に劇場内を見せてもらうことができた!

劇場はまさに豪華絢爛。
天井のフレスコ画を中心に、6階層 1,386席の客席が馬蹄形に配列する。

後陣中央にはひときわ輝く王室専用席 “Royal Box ” が見える。

18世紀につくられてから現役で機能しつづける最古のオペラ劇場でありながら、舞台には最新の装置が導入されていて 電動リフトによって2つの舞台を入れ替えることができるようになっている。ヨーロッパの本気はほんとにケタ違いだ・・・

劇場を出て、市内の路地にはいっていく。

ナポリといえば、あの有名なピザ・マルゲリータ発祥の地でもある。
統一イタリア第2代国王 ウンベルト1世の妻が気に入ったことで、王妃の名前をとってマルゲリータとなづけられたらしい。

こちらは Frittura Mista とよばれる、シーフードや肉、野菜などを塩味で上げたミックスフライ。

腹ごしらえが済んだところで、また内陸方向に向かって路地を上っていく。

港湾都市だけあって海鮮類も豊富!

世界的な観光地でありながら、めっちゃローカルなお店も現役でうれしい。

 

雑然とした細い路地と、生活感が垣間見える「管理され過ぎていない」姿が妙に心地よい、ナポリの路地。

ナポリの路地を歩いていると、そこかしこに あの有名なサッカー選手 マラドーナの肖像を見かける。
マラドーナはアルゼンチン人なのになんでだ?と思って調べてみると 1984年 SSCナポリに移籍したマラドーナはその後の活躍でチームを国内リーグ優勝へと導いたらしい。当時は北部が中心的だったイタリアサッカー、マラドーナのおかげでその見えない「南北差」が払拭されて 英雄的な存在になっていったらしい。

もはや祭壇のようになってる笑

どんどん路地を歩く。

“世界で最も美しい地下鉄駅”のひとつ、といわれる Toledo; トレド駅は、残念ながら閉鎖中で入ることができなかった。
気になる人は是非ググって画像をみてみてほしい。

生活感。

ナポリの中央付近に膨らむようにある Vomero; ヴォメロの丘をのぼっていく。

けっこう上って来たなぁというところで海側を眺めると、

東側にはちょっと雲に隠れてしまってるヴェスヴィオ火山と、

ナポリの街が一望できる。

丘の頂上に建つ Catel Sant’Elmo; サンテルモ城
近くからだと全然全貌が見えないけど、上空から見ると少し引き延ばした六芒星のような形をしている。
先述のヌォーヴォ城と同様、アンジュー朝のシャルル・ダンジューによって 1275年に建てられた。

正面玄関には 1538年に設置されたレリーフが見える。
ナポリのその後の変遷は、アンジュー朝からアラゴン家へ(1443年 Alfonso Ⅴ; アルフォンソ5世による併合)→そしてアラゴン家 Fernando Ⅱ; フェルナンド2世と、カスティーリャ王国 Isabella Ⅰ; イザベラ1世が結婚し、1479年に両国が併合→ふたりの娘 Joanna I ; ファナがハプスブルク家のFelipe Ⅰ;フェリペ1世と結婚してアラゴン家とハプスブルク家の血が融合する→フェルナンド2世の死後、1516年にフェリペ1世とファナの息子 Carlos Ⅰ; カルロス1世(=後の神聖ローマ皇帝 Charles Ⅴ; カール5世)がスペイン王位を継承して 同時にナポリの支配者となり、以後はハプスブルク家の支配下となった という経緯をたどる。
なので、この門の紋章は そのカール5世のシンボルマークなのだ。

サンテルモ城から、また市内にむかって坂を下っていく。

繁華な通りにやってきた。ここは観光客も多い。

おいしそうな地元の焼き菓子がたくさん。

ナポリの魔除け Cornetto Rosso; コルネット・ロッソ の専門店にて、

一見トウガラシに見えちゃうけど、あくまでこれは「赤い角」。

「人からもらう」事で魔除けの効果が最大限に発揮されるコルネット・ロッソ、Adele がプレゼントしてくれた!ありがとう!

Piazza del Gesù Nuovo; 新ジーザス広場 から見える Guglia dell’Immacolata; 無原罪懐胎オベリスクと 奥には Chiesa del Gesù Nuovo; ジェズ・ヌォーヴォ教会と Complesso Monumentale di Santa Chiara; サンタ・キアラ大聖堂が見える。

 

職質を受けるピエロ笑

これもナポリ名物、Limonata a cosce aperte という名前のレモネード。

飲む直前に重曹を加えることで爆発的に泡立つから 足を濡らさないように こうして足を広げて一気に飲む。

Benedetto Croce; ベネデット・クローチェ通りを東側に向かって歩いていく。

Chiesa dei Santi Filippo e Giacomo; サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ教会

とその中央身廊。

Presepe Napoletano; ナポリ産のプレゼーペも沢山店前に陳列されていて、もうこれを見るだけでも楽しい。これはコレクションしたくなっちゃう人続出でしょ。全部オールハンドメイド。

これもナポリ名物、Pulcinella; プルチネッラという伝統的な道化師の半仮面。
大きな鷲鼻と額の皺が特徴的。

特に高級そうなプレゼーペ。

San Gregorio Armeno; サン・グレゴリオ・アルメーノ通り、同名の教会の鐘楼がアーチ状にかかる。

たぶんナポリで一番賑やかな通りだったかも。

ミニチュアの家を買ったら、そこにミニチュアの人物とか動物とかを並べて 自分だけの世界観をつくれるんだろうなぁ、なんかジオラマ模型と世界観近いのかも。ただ、勿論プレゼーペは宗教的な意味合いが強いし、よりクリスマスと結びついている。

全然関係ないミニチュアもあるけど笑

まるで標本ケースみたいに、円筒形のガラスケースにはいった、コンプリートセットみたいなのもある。

このパスタの分量はかる道具、見た目もかわいいけど便利そうだなぁ。

通りを抜けたところにあったパティシエ Salvatore Capparelli

ここもまたおいしそうな地元のスイーツが沢山並んでる。

ナポリ・スイーツの中でも特に有名らしい Babà; ババ
ラム酒の効いたシロップのかかったスポンジ生地にカスタードクリームがのってて 甘党なら間違いなく大好きな味。

ほぼ丸1日ナポリを案内してくれた Adele, まじ感謝である。

鼻に触れると幸運をもたらすというプルチネッラ像。

Piazza Dante; ダンテ広場 と、奥にみえる国立寄宿舎学校

ナポリ散策の〆は、Chiesa di San Nicola alla Carità; サン・ニコラ・アッラ・カリタ教会。

三廊式バシリカの内部には、

超大作なプレゼーペが沢山展示されていた。

Presepe Poliscenico; プレゼーペ・ポリシェニコ といって、当時のナポリの生活なども含めた色々な場面が再現されている。
本当に、そこに小さい街があるみたいだ。

後ろには赤く光るヴェスヴィオ火山があって、まさに中世ナポリのジオラマ!って感じ。

ってなわけで、若干とりとめもないナポリ徘徊録でした。
ナポリの街は果てしなく奥深い魅力に溢れていて、冒頭の地下都市ツアーだけでも 複数のツアーがあったり、市内に潜む地下貯水槽だったり、数えきれないほどの教会、小さな城塞・・・・とても1日でまわりきれるものではないけどのランドマークで埋め尽くされてる。
それでも、Adeleのおかげでかなり要所をおさえて見て周ることができたと思う。

夜になってライトアップされたヌォーヴォ城を最後にみて、電車でポンペイに帰るのでした。

つづく

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