こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
ブルガリアからギリシアに越境して 最初の大きな街 Tessaloniki; テッサロニキにやってきたので、また例のごとく街を徘徊した記録を残しておこうと思います。
ぶらりTessaloniki; テッサロニキ
あいにくの天気だけど、とりあえずドミ近くの路地から徘徊スタート。
早速デモに遭遇。
ギリシアの国土を地図で見ると、ちょうど北西部には”3本指”のように見える Chalkidiki; ハルキディキ半島がある。
そのちょうど西側の付け根に位置する Thermaic; テルマイコス湾に面するのが Tessaloniki; テッサロニキだ。
街の歴史は紀元前315年頃、古代マケドニア王カッサンドロスによって建設されてところまで遡る。
テッサロニキという名前はカッサンドロスの妻の名前で、アレクサンダー大王の異母妹にあたる人物だ。
なんかたまたま骨董屋みたのが密集するエリアにやってきた。
街中に突然現れるローマ期の古代アゴラと劇場痕。
この感じはちょっとプロブディフに似てる。
雰囲気抜群のキオスクを挟んで通りの向かいには、
Hagios Dmetrios Church
Hagios Demetrios Church; ハギオス・デメトリオス教会が建っている。
4世紀初頭にはあったとされる小さな礼拝堂が再建・消失の後 629-634年にかけてほぼ現在の形に再建されたものが現存していて 法隆寺より少し古いくらいのイメージだろうか。中央マケドニアの守護聖人 Demetorios; 聖デメトリウスに捧げらた教会で 世界遺産に登録されている。
外壁の一部と、西側の広場に置かれた大理石の大盆。聖デメトリオスが殉教した地から湧き出たとされる聖水と、そこから取れる香油 Myrrh; ミュロ を湛えるための盆と思われる。
教会内へ。5廊式になっていてかなり広い。
祭壇方向に向かってぐーーーっと奥行のある側廊。
元々教会内部は全面がモザイク画によって覆われてたらしいけど、1430年テッサロニキがオスマン帝国の支配下におちた後 1463年~1912年の約450年間はモスクとして機能していたらしく、その時期にモザイク画の大半は失われてしまう。さらに1917年の大火もそれに追い打ちをかける。
それでも、そんな苦難を生き延びた数少ないモザイク画が 柱の側面や、アーチ下面、内壁の一部に未だ見ることが出来る。
7世紀、ビザンティン美術のオリジナルだ。
特に「聖ジョージと子供」が有名(左上写真の左側)。
そして巨大なバシリカを支える柱の柱頭にも注目。
1917年の大火の後、1940年代前後で大規模な修復作業が行われたようで、その時に製作・追加されたであろう比較的新しいものから、7世紀の再建時のものなのか?というオーラを放つ柱頭までいろいろ。
どれもコリント式の派生形のような形だけど、単純なアンカンサスだけじゃなくて、牡羊や鷲など 複雑なレリーフがおもしろい。
教会内にはさまざまな聖遺物も鎮座している。
この天使の彫刻に囲まれた特に絢爛な台に収められているのは St.Anyssia; 聖アニシアという女性の聖遺物だ。
祭壇後陣のニッチと、イコノスタシス。
イコノスタシス前面に置かれているのが、聖ディミトリオスその人の聖遺物だという。
側廊の更に側廊(?) 部分には更に沢山の収蔵物があって もうなにがなんだかといった感じ。
正直、こうやって世界中を旅して沢山のモスクとか沢山の教会を訪れるのもいいけど 一つの教会やモスクに的を絞って 徹底的に歴史とかを調べた上で見に行った方が 自分の性格的にも得られるものが多い気はする。
印象的だった、壁に飾られた布きれとイコン。
実は、聖ディミトリオス教会には地下聖堂があって そこは聖ディミトリオスが幽閉・殉教したとされる古代ローマ浴場の遺構がある。
今思えば重要性を考えても絶対に行っておくべきだったと後悔してるけど、当時は入場料をけちって入場しなかった。
これもまたいつか再訪の口実か・・・ そんなのばっかり。
再び路地に戻って歩いていると、ヴィンテージ自転車のワークショップを発見。
残念ながら閉まってたけど、中を覗くとキレイにレストアされた70年代前後のレーサーがいくつもぶら下がってた。
オレンジの車体はメルクスかと思ったけど、MOTOCOMFORT か、、、知らないな。
路上まではみ出す系本屋、好きだ。
古代マケドニアからつづく街とはいえ、今では東京とおなじように集合住宅がひしめき合うエリアもある。
アニメショップ発見。
各種フィギュアや、
ギリシア語版のMANGAも勢ぞろい!
更に路地を歩いって、、
Church of Saint Panteleimon
次にやってきたのは Church of Saint Panteleimon; 聖パンテレイモン教会
14世紀後期ビザンティン様式で建てられた教会で、ここもまた世界遺産だ。
全体的なサイズはそんなに大きくないものの、ビザンティン様式の十字形バシリカが重厚な雰囲気。
教会の南北にはそれぞれ小さな回廊が開いていて、
それぞれ壁龕部分にはフレスコ画があったような跡が見える。
西側の入口から内部へ、
内ナルテックスから、さらに隔てた壁の入口を通ると
礼拝室につづく。メインドーム下にひろがるほぼ正方形の水平団をもつ空間で
身廊を分けず、4隅ぎりぎりに建つ柱が独特だった。
そこから少しだけ東側に移動すると、
Arch of Galerius and Rotunda
Rotunda; ロタンダと呼ばれる円形の巨大な建造物と、まるで煉瓦工場のようなチムニー様の構造物が見えて来る。
巨大な円柱形の建物は、306年頃 当時のローマ皇帝ガレリウス帝の命で おそらく自身の霊廟としてつくられたとされている。
でも、どういうわけかガレリウス帝は死後現在のセルビアに埋葬されて、しばらくは空だったらしい。
4世紀後期テオドシウス1世の治世で教会に改築されて、約1,200年もの間教会として利用されていたけど、1590年 オスマン帝国によってモスクに改築された。すぐ側に建つ塔は、その時に増築されたミナレットなのだ。
教会として転用された時期を考えても、東ローマ帝国最古の教会のひとつといえ、初期ビザンティン建築の傑作でもあり、これもやっぱり世界遺産だ。
厚さ6mという超分厚い壁で、直径24.5mもある。
内部に入る事はできるみたいだったけど、またもや入場料をけちって外から見るのみにとどまった・・・
さて、そんなロタンダから南側へと少し歩いたところに 同じくガレリウス帝によって298-299年に築かれた Arch of Galerius; ガレリウスの凱旋門 がある。297年 現在のアルメニアにて ササン朝ペルシャの7代王 Narseh; ナルセ1世との間で行われた戦いに勝利したことを記念して建てられた。元々はオクトピュロンという方式で、8本の柱でアーチが構成されていたけど、現在はそのうち3本のみが残っている。
この凱旋門のみどころは、アーチに張られた大理石のパネルとそこに施された精密な彫刻だ。
特に、左側 上から二段目中央は、双方馬に乗ったガレリウス帝とナルセ1世をみることができる。
この凱旋門も、先のロタンダと併せて世界遺産だ。
1,700年以上も前の彫刻が 街中に雨ざらしで鎮座してるって、まぁよく考えたらすごいというか さすがギリシアというか。
凱旋門の面する大通り沿い、すぐ東側には
Holy Church of Panagia Dexia
Holy Church of Panagia Dexia; パナギア・デクシア教会が建っている。
これは1956年に建てられた、テッサロニキの中では圧倒的に新しい教会だ。
とはいえ、中はこのように一見の価値あり。
緑色大理石の重厚な柱で分けられた三廊バシリカは、ドーム下面からアーチまで豪華に装飾されている。
こういう新しい教会を見る度に、1,000年後 この豪華な装飾が”1,000年前の装飾が現存している” として未来の人たちに受け継がれていくんだろうか、なんて思ったりする。地球の歴史からしたら刹那に等しいような1,000年も 一人の人間という視点でみたらやっぱり途方もない時間だ。
Church of Sotir
大通りを渡ってすぐのところに、住宅に囲まれるようにちょこんと鎮座する小さな Church of Sotir; 救世主教会がある。
1350年頃の建設と考えられていて、なんとこの教会もテッサロニキの世界遺産群のひとつだ。残念ながら閉まっていて中にははいれなかった。
Church of Panagia Gorgoepikoos Panagouda
そんな小さな世界遺産を左手に路地を南へ進むすぐ脇手に、今度は Church of Panagia Gorgoepikoos Panagouda;パナギア・ゴルゴエピコス・パナゴウダ教会 という何とも長い名前の教会が現れる。
北西にあたる入口に周ると、木柱回廊が。
建てられたのは1818年。
教会内部。なんかこの写真だとこういう趣向のクラブみたいに見えるけど、実際は木の温もりが感じられる厳かな雰囲気だった。
イコノスタシスと礼拝室北西側。
ホワイトバランスミスったな。
教会の名前にある Gorgoepikoos とは、”素早く聴く” という意味で、その象徴とされる聖母子象のイコンが教会内にあった。
教会の扉にあった印象的な意匠。
さて、そこからまた少し南西側に歩いていくと、
Hagia Sophia Holy Orthodox Cathedral of Tessaloniki
Hagia Sophia Holy Orthodox Cathedral; テッサロニキのアヤ・ソフィア がある。
アヤソフィアといえば、イスタンブールのそれが有名なわけだけど 実はテッサロニキにもあったのだ。
建てられたのは7世紀で、やはり世界遺産群のひとつ。
3世紀には既にあったとされる古い教会が 620年地震によって倒壊した跡地に、当時のコンスタンティノープルにあったアヤソフィアをモデルに建てられたのが現在の教会だ。確かに、すこしオレンジーピンクがかった外壁と中央の大きなドームはイスタンブールで見たアヤソフィアを連想する。
1205年第4回十字軍による占領によって大聖堂へ改築、そして1430年オスマン帝国の支配によりモスクへ改築、1912年のテッサロニキ解放により再び教会へ改築 という歴史を歩んできた。
西側の入口から教会内部へ。
十字型の3廊バシリカで、緑色の石でつくられた半筒形のヴォールトが独特な雰囲気。
重厚な柱と柱頭。
イコノスタシスと祭壇後陣には11世紀の聖母子像モザイク。
ドーム下面のモザイクも9世紀のオリジナルで イエスと天使、12使徒、マリアが描かれる。
いずれのモザイクも基本的に当時のものが現存しているけど、1890年と1917年の火災で損傷を受けて、1940年代まで段階的に修復されている。
Holy Monastery of Saint Theodora
テッサロニキのアヤソフィアから北西側に路地を進んでいくと、今度は Holy Monastery of Saint Theodora; 聖テオドラ修道院 がある。
元々は9世紀、キリスト教最初の殉教者である ステファノに捧げられた教会があって、その後14世紀になって 9世紀の修道女聖テオドラの聖遺物が収められたということでこの名前がある。東ローマの有名な皇后テオドラとは関係ないらしい。
教会は4方を背の高い塀で囲まれていて、塀は2階総の回廊になっている。
教会内部。コンスタンティノープル陥落以降も この修道院はモスク化されなかったらしい。
いままで見てきた他の教会と同様、1890年、1917年の火災による焼失とその後の再建を経て今の姿になっている。
イコノスタシス。
Ladadika エリア
テッサロニキの沿岸沿いにひろがる Ladadika; ラダディカというエリアにやってきた。
テッサロニキ港のすぐ近くということで、色んな店が軒を連ねる。
手編みの籠は特産品なのかな?
薪割りおじ。
この香辛料の並んでる様は、まだまだトルコ感が強い。
アーケードを発見。
港町だから、海鮮も豊富だ。
魚自慢おじ。
魚に詳しかったら、こういうの見るのももっと楽しいんだろうなぁ。
雑多な店が雑多に並んでるのを、雑に眺めながら歩く。
オスマン様の石造りのアーケードに入ってみると、
ここは糸とか布とか、縫製材の専門店が密集していた。
このアーケードは Bedesten of Tessaloniki; ベデステン といわれ、1455~59年頃メフメト2世の治世に建てられたオスマン帝国の市場らしい。
ほかにも、Bey Hamam や、
Hamza Bey Mosque など、オスマン時代の建物も沢山街に残っている。
Church of Panagia Chalkeon
ちょうどトルコ浴場とベイモスクの間あたりに、Church of Panagia Chalkeon; パナギア・ハルケオン教会 がある。
1028年に建てられた教会で、美しく保存された中世のビザンツ教会として世界遺産群にはいっているけど、、、
残念ながら修復作業中で 敷地内に入ることもできなかった。
宗教関連の工芸品を製作する工房も発見した。
中を覗くと、若い職人が熱心に作業していた。
たぶん、テッサロニキで一番賑わってたかもしれない、ラダディカの一画。
お土産に最高なギリシアの伝統的な靴 tsarouchia; ツァルツィーアを模したフェルトのスリッパ。
歩き疲れたところで、ギリシアのストリートフードギロスを食べて一気にエネルギー補給。
おまけ1 ~night run
夜、少しだけ南側にあるウォーターフロントへテネレでやってきた。
夜でもコルニッシュを歩く人で賑わう。
ライトアップされた海賊船みたのがかっこいい!
1535年頃、オスマン帝国によって防衛の砦として建てられたテッサロニキのランドマーク White Tower; 白い塔。
海岸でライトアップされる傘のモニュメントと、アレキサンダー大王の像。
おまけ2 ~テッサロニキのバイクたち
テッサロニキ散策中に発見したバイクの一部を紹介。
つづく