こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
キャンプ場で朝を迎え、この日は界隈にあるスポットに寄り道したあと ついにギリシアへと国境を越えます。
ここまでのルート
朝、キャンプ場を出発
朝。昨夜は屋根付きのスペースにテントを張らせてもらえた。
屋外キッチンには食器も揃っていて、簡単な朝食を用意して撤収・出発。
さて、もうギリシアの国境はすぐそこなんだけど 越境する前に寄り道していく。
ブルガリアのブドウ畑を抜けて、キャンプ場から少し西側にある Rupite; ルピテという街の方へと向かう。
Heraclea Sintica
まずやってきたのは Heraclea Sintica; ヘラクレア・シンティカ という古代ギリシアの遺跡。
紀元前356~339年に古代マケドニア人の入植地として建設された都市で、その時の政者はかの有名なアレキサンダー大王の父 フィリッポス2世だ。ローマ期の4世紀と5世紀 2度にわたる巨大な地震によって5~6世紀ごろには既に荒廃していたという。
サイトの中央部の多くを占めるフォーラム部分概観。
北側に一列に並ぶ15の部屋。
この遺跡でも特に注目すべき 古代都市の排水ドレナージシステム。
遺跡西側の墓地から発見された碑文で 古代ギリシア文字が彫られている。
当時の生活が人形で再現されてた。
屋外の遺跡では珍しい。
北側に並ぶ小さな部屋のうちひとつは、
キリスト教以前の古代ギリシアの女神 ネメシスに対する祭壇だという。
壁龕部分の一部はオリジナルだろうか。
サイトに散在する柱頭やモニュメントの破片。
しばらく一人で見回ってると、遺跡の関係者がやってきて 普段は公開してない部分を見せてあげるから付いてきて と東側へと連れて行ってくれた。
ちょうどフォーラムの下に潜るよう形で大きな出口が見える。これは、さっき上の部分でみた 排水システムが集合する いわば「総排出管」なのだ。各排水ドレンを集合させて 都市外へと排出する高度な水利技術があったことがわかる。
古代の下水管内部。
実はちょうどここから 2024年7月(管理人が訪れるわずか3カ月前)に古代ギリシア神ヘルメスの像が発見されて 今はペトリチ市歴史博物館に収蔵されている。当時キリスト教化が進む中で 異教とされつつあった古代の神を 必死でこの地下空間に隠したんじゃないかと考えられている。
遺跡の上空写真。
色々と説明をしてくれた上に Cloaca Maxima を見せてくれた 遺跡管理者のAlex.
最後、遺跡から出土した陶材の破片と記念のメダルをもらってしまった。ありがとう。
Mineral Bath Rupite
遺跡を見終わった後 そのまま少し北側へと進んでいくと、
ここにはなんと天然の野良温泉が湧いているのだ!!
まぁ別にそんなに温泉フェチではないんだけど、こんなブルガリアの片田舎でタダ温泉に入れるというなら試してみないことはない。
Mineral Bath Rupite には、ちいさな池みたいなかんじでいくつかの天然温泉が点在してる。既にジモティがいい湯だな状態なので、管理人も簡易脱衣所で水着に着替えてトライ。
湯加減は池溜りによってマチマチで、まさに熱水が噴出してるところはかなり熱いけど それ以外は40℃前後って感じだっただろうか。
この泥がミネラルを豊富に含んでるらしく、肌にいい”らしい”
ジモティのおばちゃんが写真撮ってくれた笑
ギリシアに入国
天然温泉で整ったところで ようやく国境に向けて出発。
キャンプ場は午前中に出発したのに、遺跡と温泉でもうすでに西日だ・・・
Struma; ストルマ川 を渡り
メインの国道で南下。
トラックの行列をスルーして、無事国境超え。
当時(2024年10月)は、ちょうどブルガリアのシェンゲン加盟過渡期、陸路での越境ではまだパスポートコントロールがあった。
この後、2025年1月1日から陸路においてもシェンゲン協定のルールが適用されているから、いまではパスポートコントロールすらなくなったんだろうな。
さて、てなわけでもうギリシア国内だけど もうすぐに暗くなるから このままハイウェイで距離をかせいで一気に Tessaloniki; テッサロニキまで向かう。
すっかり暗くなってしまったけど、無事到着 この日は 安ドミに投宿した。
つづく