こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
ブルガリアの首都 Sofia; ソフィアに到着したので、この街を徘徊した記録になります。
Saint Alexander Nevsky Cathedral, Sofia
まずやってきたのは、ソフィアといえば!(?) の Saint Alexander Nevsky Cathedral, Sofia; 聖アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
ソフィアのみならず、ブルガリアの象徴としてもしばしば登場する大聖堂は、いざ目の当たりにするとさすがの迫力だ。
着工は1882年、1904-1912年に主な建築が施工されたらしい。
ブルガリア独立の大きな契機となった露土戦争で戦死したロシア兵を追悼するために建てられた。
金メッキされたドームの高さは約45m, 鐘楼は53m もある。
細部のクローズアップ。
この、小ドームが連なったような様子を見た時、クラシック・オスマン様式のモスクに似てるなぁ という印象を抱くのはいたって素直な感想だと思う。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、上空から見ると十字架型のバシリカになっていて 様式としてはネオ・ビザンティンの代表的傑作とされるけど、その源流には Hagia Sophia があるのだ。
16世紀、スィナン(以前イスタンブールやエディルネの記事で触れたオスマン帝国最高の建築家)によって最盛を迎えたクラシック・オスマン様式も ビザンツ様式最高にして原点の傑作である Hagia Sofia にどうやって近づくか という志向の元 完成されたといっても過言ではない。なので、ブルガリア復興 ないし 東欧諸国におけるオスマン帝国支配から解放後の “ビザンツ回帰” 的な意図をもって建築されたこの大聖堂が 同じ Hagia Sophia という起源をもつクラシック・オスマン様式のモスク達と似た雰囲気を持つのは自然なことなのだ。
そう考えると、バルカン~アナトリアを横断する1,000年を超えた建築系譜の母体といっても過言ではない Hagia Sophia の偉大さが、この大聖堂を見た時改めて認識される。
といっても、アヤソフィア周辺はちょっと観光客多すぎだよねぇ・・・
いつか、修復作業が終わった時 また戻ってみたいなぁ。
入口天井部。
聖堂内部、イコノスタシス前面。
モザイクはヴェネチアから、門はベルリンやウィーンから、照明はミュンヘンから 製造・搬入され イタリア産大理石やブラジル産オニキスなど豪華な材料で装飾されている。
聖堂の脇には木彫すさまじいこのドアの向こうの地下に イコンの博物館があった。宗教画にはそんなに興味がないしいっか といって入場料をケチって入らなかったけど、やっぱり見とけばよかったかな、、、 という後悔の日々。
地下へ続く階段の両脇にあったレリーフだけでも・・・
ぶらり ソフィア
ぶっちゃけアレクサンドル・ネフスキー大聖堂とテネレのツーショットが撮れたから、気持ち的にはソフィア完了!って感じなんだけど、
せっかくなので街を適当にぶらつく。
地図で見ると、やや放射状に展開するソフィア中心部の道路 そのうち南北を貫く通りの北側に位置する Lion’s Bridge から徘徊スタート。
レトロな路面電車が走る。
Banya Bashi Mosque.
ビルアート。
Saint Nedelya Orthodox Cathedral; 聖ネデリャ教会
通りを南側に歩いていくと、Saint Nedelya Orthodox Cathedral; 聖ネデリャ教会 が建ってる。
正確な起源は不明で、10世紀頃まで遡るという。19世紀半ばまでは木造だったらしいけど、1856-63年に再建された後 1925年の爆撃で破壊→1927-33年の修復で概ね現在の姿になったという。
教会内部。
内壁を覆う壁画は、70年代になってから描かれた。
イコノスタシスは「爆撃を生き延びた」らしいので、19世紀当時のものかもしれない。
イコノスタシス中央上部は 十字架に磔になったイエスと、その足元に髑髏、そしてそれを挟むように2体の龍が並ぶ。
これは東欧正教会のイコノスタシスによくある意匠で、髑髏は “Skull of Adam” を、そして龍や蛇はサタンや悪の象徴としてデザインされている。キリストが磔になったゴルゴダの丘には 人類の始祖アダムが埋葬されているという 聖書の伝承的な解釈に基づくモチーフで、「キリストの十字架が、アダムの罪と死を贖い そして悪を征服した」という救済神学を象徴している。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂を挟んで反対側には、賑やかな目抜き通りがつづく。
ストリートパフォーマーたち。
緑のトラムも発見。
Rotunda of Saint George; 聖ジョージ教会
聖ネデリャ教会のすぐ東側には四方を建物に囲まれた区画が突如路地の先に出現する。
この中央に残っている遺構は Rotunda of Saint George; 聖ジョージ教会だ。
その起源は4世紀初頭につくられたローマ浴場で4世紀終わり頃に教会に転用された。現在のソフィアに現存する最も古い建造物といわれている。当時はローマ属州トラキアの都市 Serdica; セルディカ だった場所で、セルディカの遺跡が教会の周りに残る。
教会入口と、
内部の様子。内部のフレスコ画は4世紀、10世紀、11-12世紀、14世紀、16世紀以降 と全部で5層に分かれている。
街の南側には ほとんど同じ名前の Saint George Church があるけど、こちらは1899-1909年にかけてつくられた全く別の聖ジョージ教会だ。
ブルガリア国民議会や防衛省など 官庁系の建物がつづく。
1907年オープンの歴史ある Ivan Vazov National Theatre; イヴァン・ヴァゾフ国立劇場.
赤いR1か・・・
少し路地に入って行くと、
西ヨーロッパ風の雰囲気から、社会主義っぽい雰囲気に変わったりする。
Church of St. Nicholas the Wonderworker; 奇跡者聖ニコラス教会
ソフィアのロシア正教会 Church of St. Nicholas the Wonderworker; 奇跡者聖ニコラス教会.
先の大聖堂とは全く違う見た目の THE ロシア正教会といった見た目のドームに 緑×金の多色タイル装飾が特徴的だ。
1914年完成。
教会内部。
ソフィア大学。
ロシア皇帝 アレクサンドル2世像。
露土戦争時のロシア帝国最高指揮者ということで、ブルガリアでは「解放者」として称えられている。
St.Sofia Church; 聖ソフィア教会
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂の西につづく参道脇にある St.Sofia Church; 聖ソフィア教会.
起源は4世紀の初期キリスト教教会で、先の聖ジョージ教会と並んでソフィアで最も古い教会のひとつだ。
16世紀にはオスマン帝国によってモスクに改修されたけど、19世紀の地震で崩壊後放置され 1926-35年に現在の形に修復された。
管理人が訪れた時は、ちょうど中で結婚式が行われていた。
イコノスタシスの前に並ぶ新郎新婦が、
司祭から王冠を授けられている。
ってなわけで、内部をゆっくる見学することはできなかった。
天気が悪くなってきて、雨が降りだす。
10月のブルガリアは 日が差さないとけっこう寒い。
Archaeological Complex Serdica; セルディカの考古学群
また官庁が密集するエリアに戻って、地下に潜る階段を下りると、そこには Archaeological Complex Serdica; セルディカの考古学群 が広がっている。
透明なパネルで地上とシースルーな地下に、
主に3~6世紀の都市遺跡が展示されているのだ。
これが普通に地下鉄の駅と繋がっているってのが、やっぱりヨーロッパの歴史の深さとローマ帝国の版図の広さを感じるよね。
Lion’s Bridge を12時の位置とすると、ちょうど4時くらいの位置にある Eagle’s Bridge にやってきた。
いま思えばなんでここに訪れたのかさっぱり思いだせないほどこれといって何もないローカルな路地を歩く。
センターの通り裏路地に移動して、
歩行者用の通りを抜けると、
Central Synagogue of Sofia と、その向かいに
Central Market Hall of Sofia
Central Market Hall of Sofia がある。
中に入ってみると、3,200㎡ もあるという敷地は広大で、
美しいフレームで支えられたアーケード下にあらゆる食材が並ぶ。
和食コーナーも。
ビバレッジ系がひたすら並べられてるのを眺めるだけでも楽しい。
超特大サイズのビール!
1911年、開業当時の写真が展示されてた。皆身だしなみが整いまくってるね。
少しだけ南に移動して、National Palace of Culture; 国立文化宮殿 にやってきた。
National Palace of Culture; 国立文化宮殿
1981年にブルガリア建国1,300周年を記念してオープンした、国際フォーラムから科学シンポジウムまで幅広いイベントが開催される世界最大規模の多目的会議・文化センター。
文化宮殿の周りはけっこうな賑わいで、
管理人が訪れた時、たまたま “Sofia Guitar Festival” が開催されていて、ステージでバンドの演奏が、
沢山のフードバンや、
アートバザールも開催されていた。
というわけで、なんとなーくソフィアのそれっぽい場所をそれっぽく見回ったレコードでした。
つづく