どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
フリギア渓谷で発見した巨岩の脇で朝を迎え、この日もまた この一帯に無数にある奇岩とそこにつくられた古代の遺構を探索していきます。
ここまでのルート
朝, ここもいい野営地だった。
どっかで手に入れたバナナと桃、そしてコーヒーを朝食として 惜しい場所だけど撤収して出発。
Aslankaya Temple
フリギア渓谷の独特な景色の中、やや西方向へと進んでいく。
スマホが早くもアツアツ。
Emre湖。湖畔はゴミが目立つ。遠くから眺めるが吉。
Emre湖の南側にある細い道を進んでいくと
ときおりけっこう深い砂地になってビビる。
トルコ国旗がたなびく家の形をした岩窟があるけど、詳細不明。
砂の道を抜けて湖の西側にでると、
そこに Aslankaya Temple; アスランカヤ神殿がある。
紀元前6世紀頃(現地の看板では紀元前8~7世紀)のフリギア人によるもので、やっぱり女神キュベレーに捧げられたものらしい。
高さ15mある岩そのものの形もさることながら、三角形の切妻下ペディメント彫られた2頭のスフィンクスと、下部の壁龕の後ろ足で立って前足を合わせた2頭のライオンは圧巻。2頭のライオンの間にわずかに残る柱のようなレリーフが女神キュベレーで、彼女が被っている帽子はフリギア帽の起源といわれ、後のローマや更にはフランス革命などまで自由の象徴として受け継がれる。
ファサードには、四角形を単位とした幾何学文様がびっしりと並ぶ。
壁龕部分に入って記念撮影。アケメネス朝の勃興よりも更に古いモニュメントが 特別な保護無しでこうしてそのままの姿で今に残るのは奇跡に近いのかもしれない。ファサードの右隅角に見える損傷は 近年になってからの盗掘によるもので、気象条件によるレリーフの損傷も激しい。政府が積極的に保護をするとなると、屋根やガラスケースで覆われて一気に”野良遺跡”感は失われてしまうけど、一方でこのモニュメントが後世に残るかどうかも人々の良心や政府の関心に依存する部分も大きい。
野生動物の保護プログラムでも、ライオンやヒョウのように人々の関心を握りやすい種に対しては時に莫大な資金が集まる一方、小さな昆虫や地味な植物種などは人々の関心を集める以前に絶滅していってしまう。
ピラミッドやペルセポリスと比較できるものじゃないけど、この古代フリギア人が残した遺産を ずっと後世に残しつつ オーバーツーリズムを招かないようなこの開放的な雰囲気を保つには、どうすればいいんだろうか。遺跡の保護ってのは難しい。
Memeç Kaya Kilisesi; メメチ岩窟教会
アスランカヤの神殿を去って、
Rock Formation という奇岩群の間を縫う様に走っていく。
そいでやってきた Memeç Kaya Kilisesi; メメチ岩窟教会
同様に、岩山の一部をくり抜いてつくられた岩窟が密集している。
「古代の遺構の保護」なんてことより、今日明日の生活が必死で盗掘を行うメンタリティはまだ理解の範囲内だけど、ただのイキったガキらによる落書きの類は 無知と稚拙と愚鈍の結晶のようで見ていて反吐がでる。
教会というからには、紀元後の初期のものだと思われるけど たぶんフリギア人によって紀元前8~6世紀頃形成された岩窟が、後世初期キリスト教徒らによって礼拝所として利用された 的な感じだと思う。詳細不明。
厩舎を思わせるような広い洞窟や、まさにこれからレリーフを彫る予定だったのかな?という不自然にフラットな岩。
半地下室のようなシェルターなど。
メメチ岩窟群はメイン道路に面しているからか、他のモニュメントとかと比べて 観光客が比較的集まっている印象だった。
そんなわけで、観光客向けに動員されたデコラティブなラクダと。
Döğerの街
メメチ岩窟群から少し西に走ると Döğer という比較的大き目の街に出る。
オスマン帝国時代 15世紀半ばにムラト2世によって建てられたキャラバンサライ。
普段は閉まってるみたいだけど、何か搬入作業があったらしく トラックの運ちゃんが中見ていいよと言ってくれてチラ見。
中世キャラバンサライのゲート×Tenere 、うん いい感じ。
Döğerの街中には やたらとアヒルが沢山いる。
家畜用の水飲み場で水浴びをしてると思ったら、行列で道を渡りはじめる。
フリギア渓谷に点在する他の村と同様 赤瓦屋根・石造りの平屋がイイ感じに建っているけど、近代的な建物もちらほら見られた。
絶対廃車疑惑だけど、現役の可能性もあるボロ車と、この辺はこれがスタンダードなのかな というガラス張りのミナレットトップ。
沢山人が集まってるので来てみたら 湧き水に人が水を汲みにきていた。
Zorali の噴水 とよばれる場所で、1779年 地元の富豪 Ibrahim という人物によってつくられたらしい。
甲状腺腫に効能があるという事らしく、近隣の街や村からも水を汲みに皆さんやってくるんだとか。
管理人もボトルの古い水を入れ替えた。
そして湧き水の排水溝にカメラのレンズキャップを落として失くした。
古代フリギアの聖地 Urumkuş Rocks; ウルムクシュ岩山
Döğerの街の北東部には地面から垂直に切り立った凝灰岩の岩岩が密集する Urumkuş; ウルムクシュという場所がある。
フリギア人たちによって聖域とされていたウルムクシュの岩山は、なるほど 今ではこうやって車両で入り込めるけど、
確かに独特の神々しい雰囲気に包まれた空間だった。
岩山の頂上のひとつに建つ Asar Kalesi; アサル城。紀元前8~7世紀頃 フリギア人によって岩窟住居としてつくられて、その後ビザンツ時代まで人々に利用されていた。外から見える複数の部屋は内部で上下に繋がっていて、岩壁の反対側にも壁龕や岩窟室がある。
まるで巨人がチェスでもしたのかのように、縦長の巨岩が建ち並ぶ 不思議な場所だった。
Üçlerkayası の村
Döğerからまた南に少し移動して
Üçlerkayası; ウチレルカヤスという村にやってきた。
村全体に今まで見て来たのと同様な巨岩群がたち並んでる。
一部、よく見ると洞窟のようなものや、人工的にみえるレリーフのようなものも確認できるけど その数はもはや無数・・・
適当に村の中を徘徊する。
トラクターとヤれた家々、
そして巨岩と、
時おりみられる岩窟。それらが混在するウチレルカヤスという村なのであった。
ウチレルカヤスの村風景。
Kümbetの村と Aslanlı Mabet; ライオン寺院
ウチレルカヤスの村を去って、これくらいでフリギア渓谷巡りは満足したかな、、、と思ったけど 最後に1か所 パスしてしまった場所に戻る。
一度D665まで戻って、更に北東側へと戻っていく。
生乾きコンクリートを通って、
小さな田舎道から
Kümbet; クムベットの村にやってきた。
村のやや北のはずれをのぼっていくと、
クムベットの村を一望できる丘の上に 13世紀頃に建てられたとされる八角形ドーム状の Himmet baba türbesi; ヒンメット・ババ廟がある。ヒンメット・ババとは、13世紀頃の聖人であった羊飼いのことらしいけど、この廟がその人物のものなのか 確証はなく、誰が埋葬されたのか完全に明らかにはなっていない。
廟の入口には、
ビザンツ時代の建造物から再利用された建材があてがわれていて、独特のレリーフと雰囲気を与えている。
セルジューク廟の特徴として、ドーム状の霊廟の周りに 墓地が広がる。
楕円形に組まれた石の前後に石柱を建てるというスタイルで、
たぶん特に位の高い人物の墓はより大きな石で組まれ、
石柱にも碑文が刻まれている。
この碑文から、墓はオスマン帝国時代まで利用されていたことがわかるらしい。
ちょこちょこと岩をくり抜いたモニュメントが点在する中、
わざわざここまで戻って来た目的は、さらにこの奥に眠る神殿だ。
丘の上にある特にヤれまくった家家の間を抜けていくと、
Aslanlı Mabet; ライオン寺院 が姿を現す。
下部壁龕の両脇には立派な階段があって、上部の切妻ペディメント下部に2頭のライオンのレリーフが綺麗に残っている。紀元前8世紀頃、フリギア渓谷に点在するフリギア人によるモニュメントの中でも 特に初期のものと考えられていて、今まで見て来たライオンレリーフの間には、キュベレーをあらわす柱状の彫刻が多かったのに対して、ここでは古代ギリシャの巨大な甕 Kratel; クラテール が彫られている。やっぱり自分は古代のレリーフがすごい好きなんだなぁと思った。決してGorgeous な遺構ではないけど、わざわざ道を戻って見に来てよかった。
長い1日だったけど、キュンベット村の長閑な家家に西日が差し始める。
金色に輝く麦畑と そこを歩くおっちゃん。
どこかの湖で
キュンベットの村を去って、今日はさすがにもう野営地探しを始めないといけない。
広大な農耕地の間を適当に走っていくと、
小さな村で焼き鳥を発見。
おっさんめっちゃ睨んでるけど、めっちゃ気のいい人。
この焼き鳥が、後にも先にもトルコに3か月いたなかで一番うまかった。
なんだろう、鶏肉の質なのか、味つけなのか、日本のうまい焼き鳥屋に匹敵するような味だったのを今でも覚えてる・・・
思わぬ腹ごしらえで1日の疲れが癒えた後、村のはずれに地図上で小さい湖を発見。
メインの道路から逸れて向かってみると、
これまた最高寄りの最高な場所を発見。今日の野営はここで決まり。
完全に日が暮れる頃、この辺で営巣してるのか 渡り鳥なのか 色んな種類の水鳥達とカエルの鳴き声が静かに響いていく。
長くて濃い、濃すぎる1日だった。
おそるべきフリギア渓谷の歴史。バイクがあるからこそ自由に巡れたけど、たぶんこれでもほんの一画を探検できたに過ぎないんだろうな。きっとどこかに、未だに発見・発掘されていない古代の遺物が眠っているのかもしれない。
ってなわけで、エスケシェヒル南部に広がるフリギア渓谷を巡る旅はこのくらいで終了にして、明日からは次の街へと向かうことにしよう。
つづく