【Georgia episode12】ジョージア 西の大都(?) Kutaisi; クタイシへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

Vardzia; ヴァルジアで大雨に見舞われ、偶然居合わせたおっちゃんのゲストハウスを訪れた翌日、ジョージア南部から西の都市 Kutaisi; クタイシを目指します。

ここまでのルート

Gocha Guest House

昨日は雨がひどくて、ヴァルジアの岩窟を去ってから一切写真を撮らずに暗くなってしまったけど、ここが急遽招き入れてくれたGocha のゲストハウス。最初見た時は、ゲストハウスってか、、、ほとんど厩舎だけど大丈夫か??とか思ったんだけど、

部屋の中はとても綺麗で温かかった。

こちらが、雨に打たれるテネレを見て 誘ってくれた Gocha.

朝からチャチャ(度数50~60を超えるものもある強烈なジョージアン・ウォッカ)を2~3杯あおってから車で出かけていった笑

食事なしの値段しか払ってなかったけど、自然な流れで朝食に混ぜてもらえた。
ジョージアのローカルなごく普通の朝食。

Gocha が見せてくれた旅人ノート。

意外と沢山の旅人が訪れてるようだ・・・

管理人も書いといた。

ダイニングの棚は、色々な酒とギフトが飾られてる。

ジョージア伝統の角製ゴブレット。

飼われてるのか、ただ居座ってるのかわからんけど、

懐っこかったトラちゃん。

宿代のお釣りがほんの少しだけ足りないということで、朝食ももらったし別にいいよと言ったんだけど、お釣りの代わりにペットボトル満タンにワインをくれた。

パニアにワインをくくりつけて、出発。なんともジョージアらしいスタイルじゃない。

Sapara Monastery に寄り道

今日は北西方向へと進んで Kutaisi; クタイシという街を目指す。

舗装/未舗装を繰り返し走ってると、あれ いま空気圧どっちだっけ? となることがある。
空気圧が低いことによるリム打ちが、空気圧が高いことによる弊害よりも圧倒的に怖いので 一応確認したりする。日本ではさして問題にならないかもしれないけど、道にいきなりでかい段差だの亀裂だの穴だのが出現するのが当たり前だから リム打ちのリスクが高い。

Akhaltsikhe; アハルツィヘ の街に差し掛かって走っていると、

スペインからのライダー Puala と出会った。彼女はこれからアルメニアを目指すようだ。

アハルツィヘの街から少し南へ逸れて、小高い山腹をのぼる道をすすんでいく。

雨の影響で、まわり森から独特の香りが醸し出されていた。

どんどん進んでいくと、やがて道の向こうの森から、

修道院のドームが顔をだす。

Sapara Monastery に到着した。
森の奥にひっそりと佇み、人は誰もいない。現在のサムツヘ・ジャヴァヘティ地方は ジョージア王国の一部だったけど、13世紀 モンゴルの侵攻を受けてジョージア王朝が衰退するとき サムツヘの Sargis Ⅰ Jaqeli; ジャケリ家のサルギス1世は モンゴル勢力(フレグ)と友好的な関係を築く事で、実質的にジョージア王国から半独立状態を維持していた。

サパラ修道院内で最もアイコニックである、この St.Saba’s Church; 聖サバ教会は、そのサルギス1世の息子 Beka Ⅰ Jaqeli; ベカ1世の命で13世紀末に建てられた。

北側のファサードと上部の装飾、とても小さい入口。

ドーム部分。

教会内部、東側を臨む。重厚な2本の柱とそこから連なるアーチによって3つの身廊が区切られる。
特に東西方向に伸びるアーチ上部には、更に列柱構造がある独特なつくりだ。

東側祭壇とキリストのイコン。

北側と、南側の壁面。フレスコ画がびっしりと保存されている。このうち、南側の下段に描かれているのがジャケリ家のサルギス1世、ベカ1世、そしてその更に息子のサルギス2世が並んでいる図だという。

西側壁面。

ドーム下面は、8方向から取り入れられた光が独特の青色を発色させて 非常に美しい彩度を放つ。

サパラ修道院は、建物自体の構造もちょっと独特だった。
聖サバ教会の西側に回ると、このようにいくつかの構造物が入り組んだような形になっている。

聖サバ教会西側のファサードと意匠。

この、聖サバ教会の南側に少し突き出た形でくっついているのが、実は聖サバ教会よりも更に古くからあった St.Mary’s Assumption Church で、建てられたのは10世紀頃と考えられていて、この修道院のなかで最も古いらしい。

建物群の西側にある坂を下りて、南側からみる。一番手前にある小さな建物は、調べても何なのか分からなかった。

一番南側にある小さな礼拝堂の西側上部に施された彫刻。

そしてこれが、最も古いという St.Mary’s Assumption Church の西側にある ポルチコ様構造の入口とレリーフ。

その内部。教会内部へは入ることができなかった。

その北側、先ほどの聖サバ教会の西側ファサード。列柱式のポルチコとなって、しかも東側半分が地下のようになってる複雑な構造だ。

列柱身廊の下面。

西側の入口。アーチ下にジョージア語の碑文と、上にフレスコ画が残る。

なんだか独特なデザインのドーム下面。

先述の ジェケリ家初代君主(イル・ハン国との従属関係において という意味で)サルギス1世は、隠居後 このサパラ修道院で余生を過ごしたらしい。

やっぱり、思ったよりも満腹感の強い修道院だった。

修道院の脇に建つ鐘楼は、ジョージアでも最古の部類に入るという。

そして鐘楼脇の茂みでは養蜂が行われている。

鐘楼から見た聖サバ教会。

Green Monastery

アハルツィヘの街を去って、クタイシに向かうには一度ボルジョミまで戻ってハイウェイを行くか、Zekari Pass を通ってそのまま北西に進むか、どちらか迷ったけど、雨の影響と どうせ曇りだし ということで前者をとった。

というわけで、クラ川の脇を北東方向へと進んでいく。

途中、ふと脇道の先に見えた廃墟となった城塞 Slesis cixe; スレシャ城塞.

中世ジョージアの盛期に建てられたのでは?ということ以外 ほとんど謎に包まれた城塞みたいだ。

メインの道路に戻って再び北東へ進んでいく途中、道の西側にダートの脇道がつづいていた。
奥に入って行くと、まるでここからは聖域の異世界です というようなゲートが。

奥へ進んでいくと、雑木林に包まれて 外界から遮断されたダートの1本道がつついていく。

道の終着点には更にゲートが。

そのゲートの先にあるのが、Mtsvane Monastery; ムツヴァネ修道院 通称”Green Monastery”.
切石の一部に緑がかった石が使われていることからそう呼ばれるみたいだけど、正直そんなに”緑”な印象はなかった。
18世紀以降は多くの戦乱に埋没して200年以上放棄され、ほぼ周りの緑に凌駕されていたところを1970~80年代にかけて修復されたらしい。

修道院の詳しい歴史は不明とのことだけど、この教会は9世紀後半~10世紀に建てられたと考えられている。内部は写真撮影禁止で、まぁいつも禁止でも撮ってるんだけど 今回は見張りのおばちゃんの死角が得られず諦めた。

南側に建つ鐘楼は2階建てで、15~16世紀に建てられたと予想されている。

1階部分は小さな礼拝堂になっていて、入ってすぐ左側には頭蓋骨が並んでいる。
何らかの原因で殉教した司祭や修道士のものらしい。頭蓋骨をよくみると8体中3体に前頭縫合の遺残がみられた。昔 大学の標本室に入り浸っていた時、大量の頭蓋骨に囲まれながら作業していた時期があったけど、それでも前頭縫合がのこっていた個体は2~3体しかなかった。頭頚部外科の領域では10%前後とも言われているけど それにしても多い。
頭蓋骨の縫合には早期癒合といった疾病もあるから、もしかしたら家系的なものがあったのかもしれない。

再び鬱蒼としたダートを、ハイウェイへ戻る。

Kutaisi へ

ボルジョミの街まで戻って来た。

これもやっぱりクラ川。

ボルジョミの街も楽しそうだけど、まぁ全部は無理。ちょっとだけ見回って、通り過ぎていく。

更に道を北上していって、

Surami; スラミ の街の教会と城塞をバックに写真撮りつつ、

途中道脇に沢山現れはじめた特徴的なパン屋(?)と、

椅子屋(?) に驚きつつ、

ハイウェイに合流。

しばらくは日本の高速並みに綺麗な道をひたすら西に走って、

ようやくクタイシの市内に到着した。
しばらくはクタイシで滞在して、なんだか最近慢性的に痛む両肘を療養しつつ、溜まったブログの消化に努めることにしよう。

つづく

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