【The UAE episode 11】オアシスと砦 アルアインの文化的遺跡群を訪ねる~その1

こんにちは、グレートエスケープ中の元勤務医です。

UAE湾岸部から一度内陸部に入り、アブダビ首長国第2の都市 アルアインを巡ります。

Al Ain Oasis

アルアインの街には、方々にオアシスが点在している。その中でも最も規模がおおきく、年代も古いのがアルアイン・オアシス。

アルアイン・オアシスは現在ではこのように遊歩道が整備されていて、舗装路(たまに未舗装あり)を進むことができる。
いきなりこんな道が出てくるわけではなく、ちゃんと Visitor Gate が用意されていて、そこでやはりPCR陰性ないしワクチンパスのチェックを受けた。
※感覚的にはワクチンパスは無効で、PCR陰性証明じゃないとダメっぽいけど、係員の認識の程度によってOKだったりだめだったり、な気がする。

この時気温は44~45℃くらいまで上がっていたと思うけど、オアシスに鬱蒼と茂るナツメヤシの傘下に入ると、断然涼しく感じられる。

この地域のオアシスの見どころは、「Faraj ファラジ」だ。
ひどい乾燥と戦うアラビア半島で発達した地下水や湧き水などを灌漑するための水路システムで、オマーンのそれが有名だけど ここアルアインに点在するオアシスにも見ることができる。

ただ、これって後世に修復されたのか?明らかにコンクリート様の壁で なんかイメージしてたのとは違う。
しかも水がほぼ完全に干上がってるじゃないか。

一部水をたたえる水路発見。でも流れはないように見える。
ファラジという灌漑システムがいつ頃から使われ始めたかは明らかではないらしい。
アラビア半島での人の暮らしの痕跡は紀元前5000~6000年まで遡るらしいけど、少なくとも灌漑をするということはナツメヤシの栽培をしてそこに定住するということだし、築造にもかなり高度な土木技術が必要かつ水路の管理など含めある程度管轄された社会構造も必要だったんではないかということらしい。

アルアイン・オアシス遊歩道内のモスク。

オアシス内に入ってまず感じたのは、その甘い匂いだった。
カブトムシの餌ゼリーの匂いに似たようなかんじ。
これはたぶんナツメヤシに実るデーツのせい??
少し調べるとデーツは甘い匂いがするという記載もあったけど、地面に落ちて腐ってるデーツの匂いをかいだところ、特に強く甘い匂いは感じなかった。
ナツメヤシの森全体から醸されるものなのだろうか、はて。

このデーツ、しっかり現役で収穫されてた、NISSANで。

アル・アインオアシスの面積は広大で、とても全ての遊歩道を歩くのは この炎天下無理。
だけどせっかくなので入口の反対側まで行ってみる。

と、反対側には Al Ain National Museum があった。

元に戻ろうとすると、ん ちょっと道間違えたか という様相になってきたけど、

なんとか出口っぽいところにたどりついて外に出られた。

Al Ain Palace Museum

先の Al Ain National Museum とは別に、Al Ain Palace Museum というのがすぐ近接してある。

ここは、UAE初代大統領 Sheikh Zayed 氏が60年代アブダビに移り住む前、家族とともに暮らしていた場所らしい。
98年にミュージアムとしてリノベされたとのこと。

施設内で最も古い建物は1937年築で、ヤシの木や日干し煉瓦、泥や漆喰など天然の素材を使ってつくられている。

Al Jahili Fort ~休戦オマーンという地

次に訪れたのが Al Jahili Fort.
Fort とは、要塞や砦のこと。

入場にはPCR陰性を求められたが、やっぱり「バイクできたのか、よしOK」戦法が通用した。
いつまで通用するのかは不明。

18世紀前後、アラビア半島の南部はオマーン帝国の一部だった。
オマーン帝国は南はザンジバル(現タンザニア)から北は現在のイランやパキスタン南部までを含む広大なペルシャ湾・アラビア海沿岸地域を支配するスルタン国家だったけれど、19世紀半ば頃にはその支配を排し首領が独自に割拠しはじめる。

その首領たちこそが、後にUAEを構成する首長国の原型ということだと思う。
オマーン帝国(マスカットを中心としたオマーン)の支配外で、首長国による海賊行為がおこなわれ、この頃ホルムズ海峡~オマーン湾沿岸部は Pirate Coast(海賊海岸)と呼ばれたという。これを見かねたヨーロッパ列強、とりわけイギリスと各首長との間に条約を締結し休戦協定を得たのが1820~1835年のことで、これをもってこの界隈をマスカットを中心としたオマーンと区別し、休戦オマーンと呼ぶ。

ただ、イギリスとの協定後も当然割拠していた首長国同士の小競り合いは沢山あったようで、アルアインに点在する要塞様の建物の多くはこの時期に建てられたものかもしれない。

Al Jahili Fort は 1891年に周辺オアシスのナツメヤシ農家を守るために築造され、原型は1980年代と2007~2008年に2度、修復されている。

塔のうちひとつには上ることができる。らせん状の通路をのぼっていくと、

小部屋など。

この要塞はちょうど四角形の塀に囲まれる形で、東~北にかけてはこのような廊下を歩くことができた。

ちょうど日が傾き、流れ込んだ斜陽と石灰の壁のコントラストはなんともいえない空気感だった。

Wilfred Thesiger という探検家

Al Jahili Port の北側の一部は簡単な展示場となっている。
ここに展示されていた写真を、一部紹介したい。

これらは、Wilfred Thesiger というイギリスの探検家が当時まだ不毛の地であったアラビア半島南部を探検した時の記録。
写真は1948年~1950年の撮影。
この時代のアラビア半島南部には “Empty Quarter” という俗称がある。
直訳すれば 「空の1/4」つまりアラビア半島の1/4は何もない空虚な場所として認識されていて、実際、ここには ルブ・アルハリ砂漠が広がっている。
地球上で人類が最も近寄りがたい場所のひとつである。

当時、GPSもアプリもなにもない、ただスケッチの地図とコンパスだけを頼りにこの地をラクダで探検した彼らの勇気とはどんなものだろう?
時代の利器というものにがっつりお世話になってる管理人には 到底想像のしようもない。

彼らの勇敢さとたくましさを思うと、自分のやっていることなんて 何とちっぽけな事かと思えてくるのだった。

当時の「旅の道具」。
伝統的な短刀 ジャンビーヤにLeica製のカメラ。シープスキンの敷、ライフルなど・・・
いつの時代も旅の道具はロマンの塊だね。

Qasr Al Muwaiji

Qasr Al Muwaiji に着くころにはもう日が暮れ始めてしまっていた。

あまりにも整備され過ぎているというのもあって、少し味気なく感じたけど、ここはアブダビ首長を世襲するナヒヤーン家の出生地として知られていて、前大統領 Sheik Khalifa 氏が生まれたのもここのよう。UAEの歴史的に非常に重要な場所ということだね。
それもあってか、施設内のミュージアムにはワクチンパスのみでは入れてもらえなかった。

一角にあるこの塔が、60年代 Sheikh Zayed 氏がアブダビへ行ってしまうまでの間家族が主に使用していたものとのこと。
上部にある窓からは風が取り入れられ、泥レンガの壁は埃を防ぐが空気を流通させる、天然の快適空間とのこと。今見ることのできるこの塔は実は70年代の再建物で、オリジナルは Sheikh Zayed 氏がアブダビへ去った後に取り壊されている。

ミュージアム内に入れずションボリしていた管理人を見ていたらしく、Qasr の去り際スタッフのHamad氏がわざわざ「入れてあげられなくてゴメンね」と話しにきてくれた。
同氏はハーレーのスポーツスターに乗ってるらしい。この前トルコツーリングに行ってきたようで、その時の写真や動画を沢山見せてくれた。

Al Wajidi Fort

Al Wajidi Fort に着いた頃にはすっかり暗くなってしまった。

なんとか三脚を使って撮影するも、
ん~ まぁ雰囲気のみはなんとか。
ここも周りにナツメヤシが沢山茂っていたので、おそらくオアシスを守るための砦なんだと思う。
建築年は調べてもよくわからなかったけど、おそらく休戦オマーン時代~20世紀初頭なのではないかと勝手に予想。

おまけ

アルアインのEVステーション。

つづく

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